【最後のナンパ】ナンパによって人生は変わるのか?

矢野のストーリー

その日は快晴の一日だった。

12月ももう半ばで、もちろん寒さという点では、家を出ただけでもう帰ろうかと思ったほどである。

【ナンパは人生をより良いものにするのか?】

俺は後続に続く人たちのために、ナンパにおけるこの最大のテーマについて書いておこうと思う。

まず始めに言っておくと、俺にとってのナンパとは、「自分の未来は変えられるのか?」という挑戦だった。

それは具体的に言えば、「自分は美人とSEXできるのか?」ということだった。

風俗でも、たまたま所属した会社内でもなく、街中で出会った本当にタイプの女の子としゃべりだけで深い関係になる、果たしてそれは可能なのか?

これが俺にとってのテーマだった。

ナンパを始めた当初の俺は、自信満々で、だけど実世界ではコミュ障気味で、そのまま歳を取っていたら、自尊心だけは大統領並みに大きくなって、でも実世界では生涯フリーターみたいな、そんな危ない奴だった。

だけどナンパをはじめて、
はじめて俺は知った。

俺は絶望的にモテないということを知った。

ナンパをはじめて、はじめて俺は客観性という言葉の本当の意味を知った。

それは時に、とてつもなく痛くて、
目を背けたいようなものだった。

それまで俺は、自分は芸能界とかに行ったって成功できる人間だと思っていた。

周りの人にも、「君は芸能界に行くべきだ」と言われたこともある。

だから俺は、人生でたった一つも成し遂げていないのにもかかわらず、自分は将来とんでもない化け物になるのだと確信していた。

だけどナンパを始めて、街中やクラブで見知らぬ女の子に声を掛けて気付いた。

 俺は誰にも求められていなかった。

謙遜でも何でもなくて、本当にビックリするくらい、俺は誰にも求められていなかった。

街中ではほとんどの場合無視されて、ひどい時には「キモイ」と言われた。

ニーチェは「神は死んだ」と言ったけれど、俺にとってはこの一連の出来事が「神は死んだ」というのに等しい出来事だった。

俺は絶望的にモテなかった。

誰にも求められていなかった。

俺のナンパは、ここから始まった。

全てのはじまりはここからだった。

【モテない奴でも街中の美女とSEXすることはできるのか?】

 俺はこのテーマに対する答えを出すために、日常のほとんどを捨て去って、毎日のようにナンパに出た。

仕事も金もない時期にも、
ナンパをし続けた。

翌日が会社であっても、
俺は夜の街を歩いた。

1時間だけ眠って会社に出勤したこともある。

ナンパした女の子との約束のために、残業する上司を差し置いて走って会社を出たこともある。

仕事中に女の子とラインするなんてことは、もはや俺の仕事の一部のようだった。

その過程で俺はたまにおいしい思いをして、そして数え切れないほどの失敗をした。

めっちゃ美人だし朝まで一緒にいたいと思っていた女の子に、居酒屋の会計をしている時に帰られたこともある。

ラブホの前で巨乳美女と攻防を繰り広げていた時に、通りかかったサラリーマンに笑われたこともある。

洋服を買わされた挙句、
番号交換すらできずに帰られらこともある。

朝まで街中でナンパして、でも何の成果もなくて、終いにはキャッチにオススメされた風俗で誰も来ないという詐欺にあったこともある。

ナンパした女の子とカラオケをしている時に、その女の子に他の男から連絡が来て帰られたこともある。

クラブで何の成果も出ずに、もう何度も何度も終電のなくなった六本木から渋谷までの道を歩いた。

他にもたくさん。

数え切れないほどの失敗をした。

でもある時、俺はついに心の底からタイプだと思える女性に出会うことができた。

だから俺は、経験として一つの答えを出すことができる。

それは、何か本当に達成したいことがあって、そしてそこに命懸けで挑むことができるならば、それは成し遂げられる可能性が高いということである。

そしてこれは、「ナンパによって人は変われるのか?」というテーマに対する答えでもある。

人は変われる。

本当にそれを望んで、そのために何かを捧げる覚悟があるのなら。

これが、17歳の時はじめて見知らぬ女の子に声を掛けてから、今に至るまでナンパをしてきた俺がたどり着いた答えである。

俺は今、最後のナンパの舞台に立っている。

最後のナンパが意味するところは、今後のこのブログの顛末に譲りたいと思う。

今年最後のナンパ

平成最後のナンパ

あるいは、俺自身の生涯における最後のナンパ

渋谷に降り立った。

渋谷は日本一のナンパスポットだ。

かわいい子が多い分無視が多く、日本トップクラスにナンパが難しい場所でもある。

1人目 関西女子

「こんばんはー」

「もう夕飯食べました?」

「今から食べに行く」

「友達と待ち合わせしてるんですか?」

「うん」

「じゃあお気をつけて」

2人目 めっちゃタイプのかわいい子

反応も悪くなくこれは連れ出し行けるか?と思いきや、スカウトに邪魔される。

もう数え切れないくらいナンパしているけれど、はじめてスカウトとトラブった。本当にはじめて。新宿の歌舞伎町やスカウト通り、池袋のサンシャイン60通り、渋谷のセンター街、道玄坂、福岡の天神、大阪の道頓堀、梅田、心斎橋。

本格的にナンパを始めた18歳の頃からこれまでいろんな場所でナンパをしたけど、本当にはじめてスカウトとトラブったwこれはマジでおいしい経験w

その後クラブに行く。

1人でクラブに行くのももうこれで最後か。

1人目 1人で佇む黒髪のかわいい子

「どうも」

「あっちで話そうよ」

「1人で来たの?」

「笑 友達と来たよ。友達あっちで踊っている」

「そっちは?」

「1人だけど」

「友達いないんだw」

「かっこいい」と言われ、「今日はなんだかイケそうな気がするぅ~」と心の中で思っていたが、油断のせいか結局何もできずに友達のところへ戻られる。なんでやねんw

2人目 1人目と同じ髪型(茶髪)のかわいい子 無視ww

俺はクラブで無視されることがけっこうあるのだけど、クラブで無視されるのって俺だけなんじゃないか?って時々思うw

少なくとも俺が見てきた限りでは、クラブ内で無視されている人って俺くらいなんだよねw

その後クラブ内を何周もするが声を掛けられそうな女の子が全く見つからない。

 この時点で時刻も4時を過ぎているからか、ほとんどの女の子に男が付いている。

仕方ないからクラブを出て、酒を飲みすぎて吐きそうになりながらも街中でかわいい女の子を探す。

しかし見つからない。

そしてマジで吐きそう。
冗談抜きで。飲み過ぎた。

そんなタイミングで、
目の前を歩いている奴が道端で吐くw

つられて吐きそうになるが耐えw、ナンパを継続する。

俺はこの自分の精神力を我ながら尊敬する。

コンビニで熱々のコーヒーを買って、
夜の街を歩き回る。

しかし結局誰にも声を掛けられずに始発が動き始めた。

ゲームセットだな。

声を掛けた女の子のレベルといい、スカウトに怒られたことといい、まぁ上出来だと思った。

人は習慣に従って生きる生き物である。

  • 朝起きて顔を洗う習慣
  • コーヒーを飲む習慣
  • 同じ時間の電車の同じ車両に乗る習慣
  • 会社に到着するなりメールをチェックする習慣
  • 月一の風俗の習慣
  • パチンコの習慣
  • 一日一箱の喫煙の習慣
  • オナニーの習慣
  • 飲酒の習慣
  • 浪費の習慣
  • 早寝早起きの習慣
  • 運動の習慣

そして、ナンパの習慣。

 人生にとって良いものもあれば悪いものもある。

新しいことに挑戦することは素晴らしいことで、たとえば資格のチラシには「資格を取って転職しよう」と書かれていたり、いろんな本の中で「一歩を踏み出す」ことの重要性が説かれていたりする。このブログでも「勇気を出して一歩を踏み出してみよう」と言っている。

いろんなところでこういうことが言われているのは、これらが人生にとって大切なことで、そして思いのほか難しいことだからである。

たとえば多くの人たちは、今いる職場を変えることよりも、愚痴を言いながらその場にとどまり続けるほうを選ぶ。

「上司がムカつく」とか「給料が安い」とか言いながら、結局そういう奴らは、「明日も仕事だから」と早々に切り上げていき、次に日もまた同じ人生を歩み出す。

たしかに新しいことに挑戦するのはけっこう勇気がいる。

だからこそ「一歩を踏み出そうか」と考えている人たちの背中を押す本や、インターネット上のブログはたくさんあるのだと思う。そういう奴らはと他人事のように言いながら、自分にだって同じような要素はもちろんある。

中にはそういう言葉に触発されて行動を起こす人もいる。

それ自体はまぁ問題はないけれど、俺は思う。

新しいことを始めるのと同じように、何かをやめることは大切だし、思いのほかそれは難しい。

新しいことに挑戦するのと同じように、古い習慣を捨てることも大事なことなのだ。

ナンパもそうだ。

ナンパに挑戦するのは勇気がいる。

だって街中で見知らぬ人に声を掛けるのだから当たり前だ。

ナンパをやったことがない人に、「なぜナンパする勇気があるの?」と聞かれたりするけれど、実のところ俺だって恐い。

習慣化してしまえば感覚は鈍るけれど、それでもたとえばちょっと日にちをあけて久々にやったりするとドキドキするし、今だってまわりの人たちに笑われるのではないか?という恐怖は少しある。

ナンパってすごく勇気がいることだ。

はじめてやるならなおのこと。

でも一度波に乗ってしまえば、声を掛けるという習慣を持つことができる。

 だけどそれはある意味恐ろしいことでもある。

一度習慣化してしまうとやめるのが難しくなるし、もうとっくに目標を達成していたり、次の場所に行くべきだったりするのに、惰性や他にやることがないというただそれだけの理由で、鈍り切った感覚の中、習慣の檻の中で生き続けなければならなくなるかもしれないからである。

そういう生き方をしていると、気付いたらもう【死】が目の前に迎えに来ているなんてことになりかねない。

ナンパは生涯を懸けてやるものではない。

 俺は自信を持ってこれを言える。

1年や2年、全てを投げ捨ててナンパをやる時期があるというのは悪くはないと思うけど、ナンパに生涯を捧げるのは、少なくとも俺は間違っていると思う。

 ナンパはあくまでも、【生涯】ではなく【一時期】であるべきだ。

俺にとってナンパは、はじまりとおわりのある1つの物語だった。

物語は必ず終わる。ドラマやアニメでは、多くの場合ハッピーエンドで終わるけれど、現実は必ずしもそうある必要はない。めちゃくちゃうまくいって楽しかったら、やめるのが嫌になるからね。

現実の終局は必ずしもドラマティックである必要はない、と俺は思う。

だからそういう意味では、ゲロを吐きそうになりながら夜の街を徘徊するというのは、ラストに相応しいのではないかと思うw スカウトの方、そして声を掛けた女の子たち、俺の目の前でゲロを吐いたサラリーマン、クッソ寒い夜の街、俺に引導を渡してくれてありがとう。

 

人と人との出会いは奇跡だ。
だからすごく大切にしたいと思う。

今日も人は数え切れない人たちと出会う。

その中にはただすれ違うだけの人たちもいる。

サンドイッチやコーヒーの会計をする数十秒間だけ時間を共有するコンビニやカフェの店員もいる。

「ステーキにおすすめ」と書かれた牛肉を会計してもらう数十秒間だけ時間を共有するスーパーの店員もいる。

「ご試着できます」と笑顔で声を掛けてくれる洋服屋の店員もいる。

ナンパを知らない人たちは、こういうのは全部、日常のごくありきたりな風景であると思い込んでいる。 

でもナンパを知っている人にとって、
それはありきたりな風景ではないのだ。

コンビニやカフェの店員。

本屋の店員、スーパーの店員。

居酒屋で隣の席に座ったグループ。

街中ですれ違っただけの人。

ナンパ師は、もしかしたらその中に運命はあるのかもしれないといつも期待している。

そしてまた、ナンパ師はたった一言で、その一言を言うだけで運命は劇的に変わったりするかもしれないことも知っている。

学校にかわいい子がいないって?

会社が男だらけだって?

地方だから出会いがないって?

小さく考えるなよ。

女の子は世界中にいるんだぜ。

最後にひとつ、とっておきの話をして終わりにしたいと思う。

それは、何もないところから出会いをつくりだす方法だ。

100%ナンパが成功する方法をお伝えしたいところだけど、残念ながら俺はその方法を知らない。

これまでずっとナンパの成功率を高めるために試行錯誤をしてきて、たくさんのモテ本を読み、ナンパ商材を購入し、そして実際に実行してきたけれど、必ずうまくいくということは決してなかった。

その代わりと言っては何だけど、何もないところから出会いをつくりだす方法をお伝えしようと思う。

 

それは、どこにいても、何をしていても、ちょっと勇気を出して話しかけてみるだけで、相手がどんな人であろうと恋に発展する可能性を生み出すことができるということだ。

 俺がブログにこれまで書いてきたナンパノウハウを全て忘れても、この言葉だけは決して忘れないでほしい。

想像してみてほしい。

たとえばあなたに気になる人がいるとする。

その相手が社内の同僚だったして、あなたは彼女に、「彼氏とかいるの?」と聞けるだろうか?

その相手がアルバイト先の年上の女性だとして、あなたは彼女に、「結婚してます?」と聞けるだろうか?

その相手がカフェやコンビニの店員だとして、あなたは彼女に、「今日すごい寒いですよね」と言えるだろうか?

「彼氏いないよ」と相手から言われた時、「今度の土曜日遊びに行こうよ」と言えるだろうか?

 グループでの飲み会の後、「ライン教えてよ」と言えるだろうか?

気になる同僚と一緒に帰ることになった時、「今日金曜だし飲んでいこうよ」と言えるだろうか?

 

実のところ、人と人とをつなぐのは、こういうごくありきりな言葉を言えるかどうか?なのだ。

ちょっと勇気を出してこういう言葉を投げかけるだけで、未来は必ず変わる。

「人生がつまらない」と言っている奴らは、こういう一言が言えずに、いつも何かを待っているだけなのだ。

たとえばそういう奴らは、自分が言うのではなく、相手から「彼女はいるんですか?」と聞かれるのを待っている。

たとえばそういう奴らは、店に通っていればいつかきっと特別な存在になれると信じている。

たとえばそういう奴らは、彼女のほうから「キスしよっか?」と迫られるのを待っている。

そういう人たちに待っているのは「あの時やっていればよかった」という後悔の死だ。

あなたはそんな最期を迎えたいだろうか?

それが嫌なら、

 

傷つくことを恐れるな。

いつでも人生は俺たちから始めるのだ。