恋愛はゲームだとドヤ顔で言っちゃう奴がキモいだけで恋愛工学は悪くない

恋愛工学

「ザ・ゲーム」(ニール・ストラウス)や「ぼくは愛を証明しようと思う。」(藤沢数希)によって広まった恋愛工学の考え方だが、熱心な信奉者がいる一方で批判対象にもなっている。

恋愛工学は正しいがゆえに批判の対象になりやすい

ナンパ界隈で恋愛工学という理論をよく聞くようになったのは、ぼくは愛を証明しようと思う。」(藤沢数希)という本がヒットしてからだと俺は記憶している。恋愛工学の考え方自体は、べつに真新しいものではなく、「ザ・ゲーム」というナンパ関連TOP1の知名度を誇るナンパ本や、恋愛心理学に基づいたものである。

それを「恋愛工学」というちょっと高尚な名前で再定義したというだけのことである。それが一部の層にドはまりしたのだ。

 

たとえば恋愛工学の主要テクニックのイエスセットやミラーリングは、もうずいぶんと前からいろんな場所に書かれていることの焼き増しに過ぎない。

  • イエスセットとは 相手がイエスと答えられるような質問ばかりし、その流れでこちらの要求に対してもイエスと答えさせるように誘導するテクニック。
  • ミラーリングとは 相手が飲み物を飲んだ時に自分も飲むなど、相手の動きに合わせることで、無意識下に「なんかこの人と合うかも?」と思わせるテクニック。

 

恋愛工学についてネット上で調べてみると、批判的な内容が多く見つかる。女性暴行事件を起こした大学生が、恋愛工学に影響されていたらしいみたいな話も関係あるのかもしれない。

しかしそれ以上に、恋愛工学が批判の対象になりやすいのは、恋愛工学がいろんな人たちの痛いところをついているからなのだと俺は思う。

女性のルックスをレベル分けする

たとえば「ぼくは愛を証明しようと思う。」では、恋愛工学の対象になるのは容姿レベルが中の上以上の女の子だけだと定義されている。

この女をレベル分けするという考え方に、「ふざけんな」と言っている層がいるのだ。

また、女の子は、イケメンや金持ちが好きなのではなく、ただモテてる奴が好きなだけという論も展開している。

 

俺は恋愛工学的な考え方にはある程度肯定的である。

しかしこういう考え方がを受け入れられない層がいるというものわかる。恋愛工学には恋愛はゲームだという考方があるが、それを真に受けて好き放題や男がいれば、それによって傷つく誰かは必ずいるだろう。

 

恋愛工学自体は正しい

俺は恋愛工学の考え方自体が間違っているとは思わない。恋愛において、形式化されたテクニックに頼ることは悪いことなのだろうか?

俺はモテない男が幻想ばかり見て、気になる人に声すら掛けられないことに比べたら、テクニックでもなんでも積極的にいける奴のほうがよほどいいと思う。

女の子や真面目な男たちは口説くなら真正面から正々堂々となどときれいごとを言うかもしれないが、それでフラれるくらいなら、必死になって知識をつけてOKされるほうがいいと思わないだろうか?

もしも俺がそんなきれいごと信じていたら童貞のまま人生終わってたわww

 

小説の物語や午後のお上品なお茶会では、童貞少年の3年間の片思いが好かれるのかもしれないが、現実は違う。現実の女の子に好かれるのは、「ナンパなんかチャラい奴のすることです。僕は1人を愛します」と言うような男じゃなくて、「お前とはもう会わないから」と平気で言ってしまうような男だ。

 

この点においては恋愛工学は絶対的に正しいと言える。

 

それが現実であって、それが現実じゃないと思う奴はきっとモテないだろうし現実から目を背けているだけだ。

 

とは言っても、「ザ・ゲーム」や「ぼくは愛を証明しようと思う。」に影響を受けたのであろう人たちには少し寒気を覚える。

「あの子Aレベル」とか、「あの子はBレベルだ」とか、そんな会話が飛び交う集まりには、少なくとも俺は行きたくない。