大学までで彼女出来なかったら何かが間違っている

マインドセット

高校時代に彼女がいなかった人と話すと、俺男子校出身だからと言う人がいる。だけど俺は彼らに恋人がいなかったのは男子校にいたことが理由ではないと思う。きっと彼らは女子校に1人放り込まれたって彼女ができなかっただろう。

学校というベリーイージーな舞台

恋人が欲しいと強く思った時に、高校や大学では男女問わず恋人が欲しいという気持ちがあると思うが、学校という場はめっちゃ素晴らしい環境だと思う。だって異性と話す機会はいくらでもあるし、街中でのナンパのように無下に扱われることもない。教科書を忘れたから隣の人に見せてもらうというのは定番だが、そんなキッカケから恋が発展することすらあり得る恋に敏感な年頃の集まりだ。肩書はみんな等しく学生だから大人のように医者や公務員、フリーター、無職というように差が生まれることもない。ルックスの要素が大きいことは認めるが、それでも勉強や運動を頑張れば目立って興味を持ってもらうことはできる。大学になれば高校以上に恋愛フィーバーモードに突入する。教室やサークルで出会い放題、バイトで出会い放題、文化祭、合コン、クラブ、街中、就活、マジで数え切れないほどに出会いの場は存在する。通っている大学のレベルで自己アピールの時に多少の影響を受けるが、それでも社会に出てからの制限に比べたら騒ぎ立てることじゃない。一歩社会に出れば肩書や将来性を見られ、学生の頃のようなノリで付き合えることはなくなる。

失恋続きのクラスメイト

俺のかつてのクラスメイトに、どうしても彼氏が欲しいが告白してもフラれてばかりの女の子がいた。彼女はルックスは悪いわけではないが、キャラで損していたwみんな彼女と付き合っていることをまわりに知られたくないのかどうだったのかわからないが、彼女は告白するたびにフラれていた。諦めきれずに1人の人を一途に思うのではなく、それこそ片っ端からルックスが許容範囲の男に告白していた。彼女は何度フラれても諦めずに告白をし続け、ついには素敵な彼氏をつくって学生生活をエンジョイすることとなった。とにかく明るい子だった気がする。すげえよそのメンタル。まるでナンパ師じゃねえか。

ベリーイージーな環境で結果を出せない人がハードモードに突入することの意味

生きていれば自動的に会社に所属できて恋人ができて結婚できるほど人生は簡単ではないが、みんな子どもの頃は生きていれば、自然と素敵な恋人ができてちょうどいいレベルの会社で働けて結婚できるものだと思っていたのではないだろうか?俺は大学を卒業するくらいまでは人生は順調に進むものだと思っていた。学生の頃に恋人ができなくて社会に出てもできない人は、まだどこかでいつか素敵な人が目の前に現れると思っているのではないだろうか?学生の頃に恋人がいた人は、たぶん生まれつきの魅力があって自然とモテている人か何もしないと何も起こらないと早い時期に気付いて行動を続けた人たちだ。生まれつき異性を引き付ける魅力があるわけじゃなく行動もしない人は、たぶん恋人ができなかったろうし、社会に出たら学生の頃よりも悲惨な状況になっているんじゃないかな。自分は間違っていたかもしれないと考えるのは気持ちのいいものではないが、結果を望んでいるのにその結果が全然でないということは何かが間違っていると考えるべきだと思う。

置かれた環境に異性がいないことは恋人ができない理由にはならない

男子校や女子校出身でも恋人がいた人はいる。俺の知人は男子校出身だが女子校の文化祭に行き生まれてはじめての恋人をつくったという。みんながみんなできるわけではなかっただろうが、俺は電車に乗っていた他校の女の子に声を掛けた。社会に出て会社に同性しかいなくても、街コンや結婚相談所なりで恋人をつくった人もいる。我々は誰にも置かれた環境でだけ生きなさいとは言われていない。できる人は限られるが街中で女の子に声を掛けられるようになれば、いつでもどこでも出会いを作り出すことができる。

今どんな選択をするか?

このブログでは、社会に出てから出会いがないと困っている人を想定の読者にしているから、ここまで書いた話は全部過去の話になる。つまりはもう取り戻すことはできない。だからこれを言ったら元も子もないけど、どれだけ反省しようが自己否定しようが意味ないんだよね。だってそんなことあなたが一番わかっていることだと思うから。だからこの話はもうここで終わりにしよう。大事なのはこれからどうするかだ。行動する人生を選ぶか?行動せずに来るかもわからないラッキーを待つだけの人生を選ぶか?かわいくて性格もいい彼女とテレビを見ながらイチャイチャする未来、1人寂しくテレビを見ながらコンビニ弁当を食べるだけの生活、テレビを見るという同じ行為も、隣に誰かがいるかどうかで天と地ほどの違いになるのだ。どちらの未来にたどり着くかは、今この瞬間の選択にかかっている。