人間は必ず死ぬということを考えたら、ナンパで声を掛けられないという意味がわからなくなる

人は必ず死ぬ。どれだけ金持ちであろうがどれだけイケメンであろうが、皆に等しくその時は必ず訪れるのだ。

人は必ず死ぬという紛れもない事実

ある年齢を超えた時から、それまで生きてきた20数年よりもずっと「死」というものについて考えるようになった。何が大きなきっかけになったのかは、自分でもよくわからない。この気持ちは死を恐れるというのとは違って、「あぁ人って必ず死ぬのだな」という当たり前の事実を改めて理解したという感覚に近い。

それからというもの俺は、人が死ぬ前にこの世に残していった文章をよく読むようになった。それは書籍として世に残されているものもあれば、ブログという形でネット上に残されているものもあった。

人が死を受け入れているのかはわからない

どれだけ本やブログを読んでも、本当のところはわからなかった。「今生きていることが幸せ」と書いていても、その言葉が本心かどうかは結局のところ知る術がないのだ。これはブログなどで文章を書いている人ならわかることだけど、いつだって必ずしも心で思っていることを発信できているとは限らない。書き手本人がそう思いたいだけの場合もあるのだ。

俺だってある。「人生は最高」と手では書きながら、実のところリアルな生活では大きな問題を抱えていてどうにもできなくなっていることもある。これは文章を書いて世に発信している人なら経験したことがあると思う。それは、そう思いたいという心の叫びかもしれないし、キャラ設定の面もあるかもしれない。だから、つい先日まで「今日は旅行です。最高ー」とブログに書いていたリア充や芸能人が、次の日には離婚したり引退したりするのだ。文章を書く上では、問題を隠すことは可能でも問題を消し去ることは不可能なのだ。

死を考えて思ったこと

それでも、いろんな人たちの死の向き合い方に触れることで、俺自身の死生観が少しずつ浮き上がってきた。

それは「死ぬこと以外は大した問題じゃない」ということだった。

 

俺は死について考えることで、人生で起こり得るたいていのことは、実は全く大したことではないのだと気付いた。仕事を失うのだってそう、金がなくなるのだってそう。そんなことはマジでどうでもいい。そんなもの生きてさえいればいくらでも取り戻せる。それに対して、「生」はどれだけ代償を支払っても取り戻すことができない。それくらい価値のあるものなのだ。世の中の多くの人たちは、ちょっとしたことに必要以上に悩みすぎている気がする。

生きているだけで王様くらい偉い

今はもうこの世にはいないけど、金持ちだった人はたくんさんいる。今はもうこの世にいないけど、かっこよくてめちゃくちゃモテていた人はたくさんいる。抱いた女の数は星の数だという男たちもいるだろう。今の日本で大企業と括られるような会社は、多くの場合、今はもうこの世にいない人たちによって創業された。それは日本に限らず海外にある企業だってそうだ。macを生み出したスティーブ・ジョブズはもうこの世にはいない。マックを生み出したマクドナルド兄弟もだ。

 

こういう人たちはたいていの場合、今でも拝められている。

 

それに対して、俺は何もしていない。死んだときに「この人はこんなことをやった人です」と語ってもらえるようなことは何一つとしてしていない。金を持っていなければ、大きな会社を持っているわけでもない。俺はあらゆる点において彼らに劣っている。

 

だけど一つだけ、俺は一つだけ彼らが持っていない物を持っている。

 

 

それはである。

 

俺は今手を動かしてグラスを手に取りコーヒーを飲んだ。「おいしい」というよりかは「苦い」と感じた。目の前を通った女の子を見て「かわいいな」と思った。俺は今めちゃくちゃ生を感じている。人間は所詮細胞の塊に過ぎないとか、この世の全ては幻想かもしれないとか、そういう深い話は俺にはよくわからないけど、俺は今たぶん確かに生きていて、これこそが何よりもかけがえのない俺の武器なのだと思うのだ。

 

この命というものは、誰にもつかむことができない。家や車はお金で買えるし、愛人だってお金で買えるけど、命を買うことは決してできないのだ。

 

金を持っていないかもしれない。イケメンじゃないかもしれない。だけど今生きている。

 

我々は可能性の塊

生きているということは、たとえ今まで何もやってこなかったとしても、今から何かを成し遂げることができるといことでもある。30歳過ぎてニートの奴だって、年齢=童貞歴の奴だって、今日何かを始めれば、みんながめちゃくちゃ尊敬するような人間になることができるのだ。その可能性は誰にも否定することはできない。

それはそいつにこれまで見つからなかった才能があるということではないし、1枚だけ買ってみた宝くじが幸運にも当たるというこでもない。ただ生きているから、その可能性があるという当たり前のことなのだ。

 

たぶん人間の1人1人は、それほど能力に違いがあるわけではない。ガード下のホームレスも1日で数百万を稼ぐキャバ嬢も、皆同じ人間なのだと思う。たしかに生まれながらに幸運な奴はいる。顔がよければそれだけでチャンスが舞い込んでくるというのはわかる。顔が悪ければ、それだけでのけ者にされる可能性があるということもわかっている。

 

男と女の違いだってある。男というだけで不利になること、女というだけで不利になることがある。そして俺たちはその環境を変えることができない。

世の中は決して平等にはなり得ない。人間という不完全な存在がこの世を動かしている限りは、平等であるということは実現することは絶対にない。

 

でもここ日本では、誰にだって成り上がりの機会は提供されている。金さえ払えばおいしいものを食べることができるし、有名になったり、金持ちになったりすればモテる。もちろんナンパの機会だって誰にでも開かれている。金をいくら稼ぐのだって自由だ。

 

それなのになぜ俺たちはこんなにも行き詰まっているのだろう?

 

俺たちはあまりにもビビりすぎている

俺はいつもこんなことを思う。俺を筆頭に世の中の人たちはあまりにもビビりすぎている。会社をクビになること。恋人にフラれること。デートの誘いを断られること。上司に怒られること。貯金がなくなること。日常のあらゆることにビビりすぎている気がするのだ。

会社を辞めて1人で何かをやってみたい。気になる女の子をデートに誘ってみたい。

 

本当はやりたいことだらけなのにそれができないでいる。「普通の幸せもありだよね」と言いながら、豪邸を建てた隣人のことを羨んでいる。やりたいことを「まぁ人生って思い通りにいかないよね」と言って諦めてしまっている。そういう人って世の中にはたくさんいると思う。そしてそれはあまりにも勿体ないことだ。俺たちは今めちゃくちゃ大事な命のエネルギーを燃やしているんだよ。

そしれそれはいつの日か必ず燃え尽きる。

 

これを理解している人は、何かやりたいことがあった時にすぐに行動することができる。これを理解していない人は、嫌な会社に留まり続けたり、ひたすら貯金を貯めたりする。それがどれほどバカらしいことかに気付かないでいる。だけど俺はそれがどれだけ無意味なことかに気付いた。あなただって薄々は気付いているだろう。声を大にして俺は言いたい。俺たちはもっとやれるんだよ。

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