ナンパで声を掛けられない状態(地蔵)を克服する方法

日が暮れる頃、どこからともなくナンパ師は街中に姿を現す。いかにもナンパ師らしい外見をした人たちがいれば、仕事帰りのサラリーマンもいる。

今、あなたがナンパをしたいと思っているのに声を掛けられない状態、ナンパ用語でいう地蔵に苦しんでいるとしたら、あなたは街中で見かけるナンパ師を尊敬の眼差しで見ているかもしれない。

なぜ、あんなに躊躇なく、人目を気にせず次から次へと声を掛けられるのだ?と。

 

彼らが本当にまわりの目を気にしていないのかは、実のところわからない。無視されたり、厳しい反応を受けることで、傷ついているかどうかも、わからない。だって誰一人として、他人の心を覗くことなどできないのだから。

しかし、なぜ彼らが機械的に次から次へと声を掛け続けることができるのかということについては、一つ言えることがある、心の中でどう思っているかはわからないが、声を掛け続けるというアクションだけを言えば、その答えは慣れである。慣れによって、機械的に声を掛けることができるようになる。

おそらく、街中で躊躇なく声を掛け続けることのできる人たちは、スカウトなどは仕事でやっているから週5日街に出て声を掛けているかもしれないし、ナンパをしている人も、多い人は毎日、少ない人でも週1日以上は必ず出ている人たちだと思う。絶対とは言えないが。

声を掛けるというアクション自体は、連続的にやり続けることによって慣れる。そしてそういう人たちは、言ってみればどこか常識という枠が頭の中から飛んでしまっている人たちであるとも言える。街中で見知らぬ人に声を掛けるなんて無理、と思う人の方が正常な感覚を持っていると思う。

だから一つの答えとして、躊躇なく声を掛けるのを可能にするためには、少ない声掛け数でも、毎日のように連続的に声を掛け続けることによって、声を掛けるというアクションに慣れる必要があるということが言える。

そして次に、じゃあどうやってその声掛け数を達成するか?もっと言うと、どうやって最初の一声を掛けるか?というのを考察してみようと思う。

まずは大前提として、ナンパしたい・ナンパしようと思って、街に出ていることが必要になる。

当たり前のことを言ってるようだけど、何よりもまずは自主的な思いのほうが先になければ、地蔵を抜け出すことはできない。

俺が意識しているのは、「意識をナンパするということに向けずに、歩いている女の子に向ける」ということ。

ナンパしようとして街中に出て、たくさんの人たちが歩いているのを見ると、うわ、こんな中で声掛けるのなんて絶対に無理という思考に陥りやすい。しかし、目の前を歩いている特定のタイプの女の子1人に意識を向けると、声を掛けるのが恐いという感情はあるけど、それと同じくらい、ナンパをしたいと思って街に出ているなら、どうしてもこの子と話したいという気持ちも出てくるはずである。その思いが恐怖心に打ち勝った時に、声を掛けることができる。俺の場合は。

しかし、もしもそれができないなら、「レールを敷く」という思考法を試してみる。

 

これは俺が高校生の頃の話なんだけど、

俺は部活動が大嫌いだった。

大嫌いだったから、もう毎日行くのが嫌で嫌で仕方なかった。前日から嫌だと思っていたし、授業中も部活の時間が来るのが嫌で嫌で仕方なかった。

でもどんなに嫌でも、放課後は必ずやってきた。

そして俺は必ず部活に出席していた。

なぜ俺がそんなにも嫌な部活動に出席していたのか?そこには強制力が働いていたからである。部活に所属している以上、必ず行かなければならないという強制力。そして、本当は辞めようと思えばいつでも辞められるのに、辞めてはいけないという先入観。

そして、俺は、敷かれたレールの上を歩くように、自らの足を動かし、その場所へと向かっていたのである。

このレールの上を歩くという意識を、ナンパにも応用してみる。ここで、声を掛ける時の意識をナンパそのものではなく、歩いている特定の女の子に向けるということが生きてくるんだけど、ナンパというのは、誰にとっても目的ではなく手段であると思う。ナンパをできるようになりたいというよりも、ナンパという手段でかわいい女の子と遊びたいというように。ナンパそのものが目的なら、声を掛けることをゴールにしてもいいけど、そうじゃないなら、タイプの子が目の前を通ったから、ナンパという手段を使って、話しかけてみるという思考に切り替えたほうがいい。

そしてそこに、レールを敷くのである。

連絡先の交換とか、連れ出し場所とか、この際全部忘れて、ナンパするではなく、その子に声を掛けるということにゴールを設定する。

俺が部活が嫌で嫌で仕方なくて、元気をなくしていたように、声を掛ける前にどんなに不安になってもいい。声掛けるの嫌だわーと小さく声に出してしまってもいいw

だけどどんなにその前に嫌々言っても、「ゴールには何が何でも向かわねばならない、だってレールが敷かれているのだから」と思い込むのだ。

いや、そんなの強制力なんかないじゃんと思うかもしれないが、強制力というのは、自分の中で先入観や強迫感から生み出されるものであって、本当に強制的なものなどこの世の中にはあまりない。

義務教育の小学校や中学校だって、行かなくてはならないものだと考えているが、1日だって登校して来ない人だっていた。会社だって、多くの人が必ず行かねばならないものだと考えているが、退職届を出せば辞められるし、その後自分の力でお金を稼げれば、もう会社に行く必要などない。つまり、強制力は自分の中の強迫的な観念から生み出すこともできる。この世の中は、頭の中で作られているのである。

このレールは考え方として使ってもいいし、イメージとして、目の前の女の子と自分の間に線を引いてもいい。あなたはその上を進む電車、あるいはアクセルを踏んだ車で、もう止まることなどできないのだ。

それでも無理というなら、自分にペナルティを課すのもいい。自分に課したペナルティを実行するのって意外に難しいから、本当なら誰かに協力してもらうのが一番いいとは思うが…

あの子に声掛けなかったら歩いて家まで帰るわとか、あの子に声掛けなかかったら目の前で募金活動している人に1万円寄付するわとか、できるだけ現実的かつ、実行しやすいもので設定するのがよい。

 

それでもダメなら、考えておきます。

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