「声をかける」高石宏輔を読んでみて

高石氏の「声をかける」を読みました。感想というほどでもないですが、思ったことを。

高石宏輔について

1980年生まれ

カウンセラー・作家・元ナンパ師

「あなたは、なぜ、つながれないのか:ラポールと身体知」の著者

「ラポールと身体知」というブログを運営している

コミュニケーション能力上達のためのワークショップなどを開催している。

という謎の人物

「声をかける」という読者層の見えない謎の本

「声をかける」に関しては、よくあるモテ本やナンパの上達のための本ではなく、小説形式でナンパを題材にした文学作品。帯にナンパは自傷と書いてあったし、表紙が表紙だから(女の人のスカートの中に顔を突っ込む男の描写)、ナンパに興味あるとかじゃなければ、手に取りづらいと思うんだよね。かといってナンパをやる側の目線で読んで、ためになるかと言えばためにならないし、おもしろいかつまらないかと言われたらつまらない。だけど読んでよかったと思う。この本の主人公は、めちゃくちゃ繊細で、どちらかというと根暗の性質を持っているんだけど、何かを得られる気がして勇気を出してナンパしている。そこで出会う女性たちとの深くもあり浅くもあるコミュニケーションの物語。よくあるノリに頼ったコミュニケーションによるナンパではなく、目の前の相手の深い所に潜り込むようなコミュニケーションのスタイルを取っている。描写がリアルだが、これは高石氏がナンパで過去に出会った人が題材なのだろうか。主人公の男は一見するとコミュニケーションの奥義(ナンパの奥義)をつかんでいるように見えるが、それは相手を限定しているからこそのもので、彼は心を病んでいて同じように病んでいる人を惹きつけているだけに過ぎないように俺には思える。高石氏は引きこもりや鬱を経て、ナンパシーンで有名になった方らしいが、俺は彼がナンパをしていた時には、自分で自分の墓穴を掘っていただけなんじゃないかと思った。つまり声を掛けるという能動的な行為によって、同じにおいの人間を引き当て、闇の部分に同調するという。高石氏は相手を通して自分を見ると言っているけれど、相手の中に自分を見ていただけなんじゃないかな?だから彼は、彼自身が主張したのかは不明だが、「ナンパは自傷」だと結論付けたのではないだろうか。

気になった点をピックアップ。

彼らは、人間関係を中途半端に心得た人々だった。しなければならないこと、してはいけないことについては考えるが、自分も見られていること、自分の心情が動作や表情に表れ、他人にも見られて、女性にも同じように見られているという発想が一貫して欠けていた。「声をかける」〔kindle版〕高石宏輔 (株)晶文社 引用

これは主人公がナンパ師飲み会に参加した時の心情。考えてみれば自分も、自分が見ているように人にもまた見られているというこの視点が欠けているような気がしてならない。過去の記事を読み返してみても、自分が相手に投げかけたアクションについての相手の反応しかなく、それはまるでボタンを押した時にだけ反応するロボットのようだ。コミュニケーションの相手はボタンを押した時にだけ反応するロボットではなく、相手もまた、こちらの動きを観察してアクションを投げかけてくる生身の人間である。高石氏の言わんとすることの真意はよくわかんないけど、俺にはこの視点がめちゃくちゃ大事なことのように感じた。

もうひとつ。

人が他人になにかを言うとき、それは自分自身に言い聞かせているのではないか。

これは俺もずっと思っていることでもある。親が子を叱る時に、子どもの中に自分の嫌なところを見てしまってイライラして叱ってしまうということがあるように、人と深いコミュニケーションを交わす時には、相手の中に自分のモヤモヤを投影させてしまうんじゃないかと俺は思っている。最近話した人から話を聞いた後に、俺はいろんなことに挑戦したほうがいい。人生楽しむべきと言ったんだけど、それを言いながら、俺は、あぁこれは自分自身に言っているんだろうと思った。

あと内容の感想じゃないけど、鳩尾(きゅうび・みぞおち)という言葉が頻出し過ぎて個人的に気になったw声を掛けようとする時や何かある度に、鳩尾が鳩尾が~と心情が出てきて、もう鳩尾はいいだろ。身体に悪いからナンパやめろよと心の中で突っ込んだ俺がいるwwあと俺はまわりくどい性格と言われることがあるんだけど、この本の主人公もその気があって、読んでいてイラっとすることはあるw最後のほう悪口になりましたが、ナンパをする人はぜひ、ナンパをしなくてもコミュニケーション能力を向上させたい人はぜひ、この不思議な本を読んでみてはどうですか?

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